2011年8月7日日曜日

本阿弥光悦 国宝白楽茶碗

長野のサンリツ美術館に本阿弥光悦作の国宝白楽茶碗(銘不二山)があります。
娘が嫁に行く時与えたものといわれます。豪快な造りと、そしてよく見ると朱色、だいだい色、赤色が地肌に透けて見え、それが時により刻々と変化する山の様子を連想させ、見あきることがありません。

光悦は、江戸時代徳川家康から京都洛北鷹ヶ峯の地を拝領し、一族、工匠等と光悦村をつくり制作に励みました。
鷹ヶ峯の良い土にふれ手すさびに楽茶碗をつくりましたが、折々に肩の力を抜いてつくられた茶碗の数々が多くの国宝・重文になっており、いかに非凡な感覚・才能の持ち主であったかをうかがわせます。

平安時代後期に日本固有の文化は生まれましたが、鎌倉、室町の時代は禅宗や墨絵など中国文化の華が咲きました。
平安朝の文化が衰えていく中に育った光悦は、大和絵や失われた王朝文化の優雅さに溢れた作品を作り出したいと、常に平安朝文化に目を向けていました。
俵屋宗達と作り上げた錦絵・蒔絵、もっとも光悦が得意とする書、独創的な工芸、多くが古典を題材に王朝の美に溢れています。
日本固有の文化を受け継ぎ展開していくことに生涯の意義を見出していたのかもしれません。

鷹ヶ峯の住居跡は今、光悦寺として観光客に開放されています。 有名な光悦垣が設えられ、優しい形の鷹ヶ峯も目の前に広がります。




江戸に幕府が開かれ、江戸文化が盛んになるにつれて江戸にはない王朝文化をもって対抗したいという気持ちもあったかもしれません。

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